自分を動かすもの
2004年7月9日 ふと、今まで自分は何人の人と出会ってきたのだろう?
などということを考える時がある。
何人の人とどれだけの言葉を交わし、
何人の人から幸せを与えてもらい、何人の人に泣かされたのだろう。
その数は、これから先も増え続けるに違いない。
楽しいことや嬉しいこともあるに違いない。
悲しく辛いことも多々起こることが分かっているのに、
どうして人は、そして自分は、人生という旅を続けるのだろうか。
思い起こせば、たった19年間とは言え、たくさんのことがあった。
嬉しいこともたくさんあった。
しかし、悲しいことの方が多かった気がする。
そんな生活を19年間に及び繰り返しているなかで、
確実に自分は成長し、一人の人間として生きていくための
術もいくつか知った。
そんな自分でも恐いと思うことはある。
例えば「死ぬこと」「失うこと」「知らないこと」だ。
私は大切な人を失った経験がある。
現在、それから4年が経とうとしているが、
自分自身、その人がこの世からいなくなった事実を
未だに受け入れることができずにいる。
そんな後ろ向きな自分を支え、
笑顔を与えてくれ、少しでも前を向かせてくれたのが
家族であったり、仲間であったりする。
そんな家族や仲間は私の大切な宝物だ。
家族、一番身近な存在であり、良い所も嫌な所も全て見てきた。
仲間、仲間と言っても結局のところは他人だから
反発しあうのもしょっちゅう。
でも家族にも仲間においても、全ての自身の面を見せ、
何度も衝突し、一緒に困難を乗り越えてきたからこそ
大切に思い、愛おしく思えるものだと私は思っている。
いくら日本が高齢化社会になっても、
人間いつ死んでしまうか分からない。
この先80年生きるかもしれないし、
明日、いや10分後に死んでしまうかもしれない。
昔の自分だったら、このようなことを考えただけで恐くなり、
前に進めなくなってしまっただろう。
でも今の私は一人ではない。
それに“今死んでたまるか”という強い気持ち、
未来に向かってたくさんの希望や夢がある。
4年前の悲しい出来事を思い出すと、
家族を、仲間を悲しませるようなことは絶対したくない。
人は辛いことがあると分かっていても頑張っていけるのは
人はいつも何かを求めているからではないろうか。
その何かというのは、人それぞれで
夢だったり、お金だったり、愛だったり。
世の中に存在するすべてのものが、その何かになりえると思う。
一部略ですが、これ私が短大生の時に書いた作文です。
いきなり、なんでこんなのを日記に書いたのか
自分でも不思議。
まぁ、とりあえず言えるのは
大切な人を亡くしたのが6年前の今日なんだよね。
正確に言うと、今日が命日なワケではない。
6年前の今日から2週間、
その人は、病院のベッドに横たわるだけになった。
動くこともなく、喋ることもなく。
心臓までもが人工によって動かされている状態。
高1の私は、まだまだ何も出来ない子供で
ただ泣きじゃくるだけだった。
6年前の今日は、
私の人生21年間の中で最も長く感じた夜だった。
だから夏は嫌い。
一生好きになることはない。
あの日のことは、6年経った現在でも
色褪せることなく、私の脳裏に焼きついている。
それが私の人生においてネックになったりすることもあるが、
それが私の運命なのだ、と思うようにしている。
辛いのは私だけではない。
私の周りの全ての人が辛かった。
多分、今夜は全ての人が一人で辛い思いをしているのだろう。
私はと言うと、
大切な人なんて存在しなかったのではないだろうか?と
さえ思ってしまう時がある。
あの人と一緒に過ごした時間も夢、
あの人が死んでしまったことも夢、と。
でも明らかに夢ではない。
私の両目から流れる涙が、その証拠だ。
涙で前は見えないけれども、私は動かなければならない。
あの人の代わりに私が生きよう!なんてキレイ事は言いたくない。
もっとキレイ事かもしれないけど
一緒に生きていきたい。本気で思います。
などということを考える時がある。
何人の人とどれだけの言葉を交わし、
何人の人から幸せを与えてもらい、何人の人に泣かされたのだろう。
その数は、これから先も増え続けるに違いない。
楽しいことや嬉しいこともあるに違いない。
悲しく辛いことも多々起こることが分かっているのに、
どうして人は、そして自分は、人生という旅を続けるのだろうか。
思い起こせば、たった19年間とは言え、たくさんのことがあった。
嬉しいこともたくさんあった。
しかし、悲しいことの方が多かった気がする。
そんな生活を19年間に及び繰り返しているなかで、
確実に自分は成長し、一人の人間として生きていくための
術もいくつか知った。
そんな自分でも恐いと思うことはある。
例えば「死ぬこと」「失うこと」「知らないこと」だ。
私は大切な人を失った経験がある。
現在、それから4年が経とうとしているが、
自分自身、その人がこの世からいなくなった事実を
未だに受け入れることができずにいる。
そんな後ろ向きな自分を支え、
笑顔を与えてくれ、少しでも前を向かせてくれたのが
家族であったり、仲間であったりする。
そんな家族や仲間は私の大切な宝物だ。
家族、一番身近な存在であり、良い所も嫌な所も全て見てきた。
仲間、仲間と言っても結局のところは他人だから
反発しあうのもしょっちゅう。
でも家族にも仲間においても、全ての自身の面を見せ、
何度も衝突し、一緒に困難を乗り越えてきたからこそ
大切に思い、愛おしく思えるものだと私は思っている。
いくら日本が高齢化社会になっても、
人間いつ死んでしまうか分からない。
この先80年生きるかもしれないし、
明日、いや10分後に死んでしまうかもしれない。
昔の自分だったら、このようなことを考えただけで恐くなり、
前に進めなくなってしまっただろう。
でも今の私は一人ではない。
それに“今死んでたまるか”という強い気持ち、
未来に向かってたくさんの希望や夢がある。
4年前の悲しい出来事を思い出すと、
家族を、仲間を悲しませるようなことは絶対したくない。
人は辛いことがあると分かっていても頑張っていけるのは
人はいつも何かを求めているからではないろうか。
その何かというのは、人それぞれで
夢だったり、お金だったり、愛だったり。
世の中に存在するすべてのものが、その何かになりえると思う。
一部略ですが、これ私が短大生の時に書いた作文です。
いきなり、なんでこんなのを日記に書いたのか
自分でも不思議。
まぁ、とりあえず言えるのは
大切な人を亡くしたのが6年前の今日なんだよね。
正確に言うと、今日が命日なワケではない。
6年前の今日から2週間、
その人は、病院のベッドに横たわるだけになった。
動くこともなく、喋ることもなく。
心臓までもが人工によって動かされている状態。
高1の私は、まだまだ何も出来ない子供で
ただ泣きじゃくるだけだった。
6年前の今日は、
私の人生21年間の中で最も長く感じた夜だった。
だから夏は嫌い。
一生好きになることはない。
あの日のことは、6年経った現在でも
色褪せることなく、私の脳裏に焼きついている。
それが私の人生においてネックになったりすることもあるが、
それが私の運命なのだ、と思うようにしている。
辛いのは私だけではない。
私の周りの全ての人が辛かった。
多分、今夜は全ての人が一人で辛い思いをしているのだろう。
私はと言うと、
大切な人なんて存在しなかったのではないだろうか?と
さえ思ってしまう時がある。
あの人と一緒に過ごした時間も夢、
あの人が死んでしまったことも夢、と。
でも明らかに夢ではない。
私の両目から流れる涙が、その証拠だ。
涙で前は見えないけれども、私は動かなければならない。
あの人の代わりに私が生きよう!なんてキレイ事は言いたくない。
もっとキレイ事かもしれないけど
一緒に生きていきたい。本気で思います。
コメント